ひとりもつ鍋をした後、食べ過ぎ感があったので1.5~2時間ほど歩いた。
そういえば、マンションの班長の役が回ってきた。
これまでずっと『ここ仕事場ですから』と逃げていたのだが、新しく引っ越してきた人以外は皆担当したみたいなのでこれ以上断るのも申し訳ないと思い、(仕事で不在&多忙の時にはご迷惑をお掛けするケースがあることを前提に)引き受けることにした。
実家があった場所のすぐ横を通った。
向かいの家のひとり暮らしのおばあちゃんも、我が家の引越しに合わせ、近々生まれ故郷である高知に帰ることになった。
甥っ子さんご夫婦が面倒を見てくれると聞いた時、何だか自分の家族のようにほっとした。
そのおばあちゃんのお姉さんのお見舞いに行くのに、うちの家族で高知のさらに奥の中村というところまでクルマで送り届けたこと思い出した。高知についてから峠を越えて次の町に出るまでものすごく遠く感じた記憶がある。
夜、丁寧にホテルの部屋を押さえてくださり、料亭で食事までご馳走になった。
四万十料理を口にしながら、昼に後部座席ででおばあちゃんが小さい頃に行ったというお祭りの話を思い出していた。
昔はご実家が裕福なところだったらしく、お祭りの日ともなると、近所の人が迎えにきてくれて、お祭りがよく見下ろせる高台まで何人かで運んでくれたということを嬉しそうに話していた。
ふと不思議な気持ちになった。
何故、僕は今この見知らぬ人たちと見知らぬ土地で料理をいただきお酒を飲んでいるんだろうか、と。
すると、その話の中でのお祭りが、まるで今料亭の外で行われているような、まるで目の前にいる老人が少女に戻ったような、そんな錯覚を起こした。
夜、長時間の運転で気が立っていたせいもあってか、なかなか寝付けなかったことを覚えている。
明日か明後日にはそのおばあちゃんにお別れの挨拶をしに行こうと思うのだが、何を話せばいいのだろうかとしばらく考えながら歩いた。
しばらく歌を歌いながら歩いた。
ふと、引退させようとしているMacにつないでいたHDDから、過去の画像フォルダが出てきたことを思い出した。
嗚呼、過去のことといえばやはり彼女にたどりつくんだなとひとり呆れながらもその記憶を拒否しながら受け入れる。
フォルダの日付を見ると2003年。コンデジとフィルムで毎日のようにどーでもいいような写真をたくさん撮っていた。
あの日のことを思い出すのが怖くて心臓がバクバクしてくる。
フォルダの日付が進んでいき、2003年6月で終っていた。
そういえば、雨がよく降っていたような気がする。
あの雨の中で何かが死んだ。
ひとりの僕も死んだ。
今生きているのはその抜け殻なのかも知れない。
その前後の写真のことはよく覚えていなかった。
カメラも持てなくなり、好きな音楽も聴けなくなり、また好きな映画も観れなかったんだろうと思う。
でも、誰に届くでもない手紙のようなものだけはたくさん書いていたような気がする。
あとは、何をして生きていたのか。
何を見て毎日を過ごしていたのか。
正直、何にもまともに思い出せない。
そして、立ち上がろうと行った沖縄でまたもや大失敗をしてしまったな。
歩きながら自分の手を見る。
昔彼女に触れたであろう手。
沖縄で必死にシャッターを切った手。
大切なものはみんなスルスルと零れ落ちていき、今は何にもつかんでいないような気がしてしまう。
後ろばかり向いていちゃダメだと上を向き星を探すが見当たらず、やっぱり下を向いてうちに帰った。
彼女を待った時、沖縄でカメラを探した時、ずっと雨が降っていた。
ここはいつも見慣れた風景なんだと気付き我に返った後も、雨の音だけがずっと頭の中に響いている。